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聖歌は生歌

聖歌は生歌

四旬節第5主日

【A年】
 117 主は豊かなあがないに満ち
【解説】
 詩編130は、回心の7つの詩編の詩編の中では、最も有名なものでしょう。ラテン語では、De Profundis で始ま
るもので、昔から、多くの作曲家によって、曲がつけられています。また、この詩編は、その内容から、死者のための
祈りとしても用いられてきました。ところが、この詩編の自身については、背景となる時代や場所ははっきりとしてい
ません。そのことは、また、この詩編による「深い淵からの叫び」が、時代や場所を越えて、普遍的な回心、神への立
ち返りの祈りとされるゆえんかもしれません。
 答唱句は、詩編唱と同じ歌い方がされるものの一つ(他に「神よ あなたの顔の光を」、「父よ あなたこそ わたしの
神」)です。バスは、常にD(レ)で持続しますが、この、答唱句の確固とした信仰告白を力強く表しています。
 詩編唱は、第1・第3小節の終止音の四分音符(主に「、」)が、その前の全音符から、2度高くなっており、第2・第
4小節では(主に「。」)2度下降しています。さらに、各小節の冒頭の音が順次下降しており(1小節目=A(ラ)、2小
節目=G(ソ)、3小節目=F(ファ)、4小節目=E(ミ))、文章ごとのバランスをとりながら、ことばを生かしています。
 この詩編唱は、当初、『典礼聖歌』(分冊第二集=31ページ)で、旧約朗読後の間唱として歌われた「主よ よこし
まな人から」(詩編140)に用いられていました。現在、『典礼聖歌』(合本)で歌われる詩編唱の第3・第4小節が
「主よ よこしまな人から」の答唱句として、第1・第2小節が、同じく詩編唱として歌われていました。「主よ よこしまな
人から」が作曲されたのは、典礼の刷新の途上だったため、新しい詩編や朗読配分、などが確立したときに、この曲
は使われなくなり『典礼聖歌』(合本)には入れられませんでしたが、新しい答唱詩編である「主は豊かなあがないに
満ち」の詩編唱に受け継がれました。
【祈りの注意】
 解説にも書きましたが、答唱句は、詩編唱と同じ歌い方で歌われます。全音符の部分は、すべて八分音符の連続
で歌います。「豊かな」と「あがない」の間があいているのは、読みやすくするためです。また、「あがないに」と「満
ち」、「いつくしみ」と「深い」の間があいているのは、楽譜の長さ(答唱句と詩編唱の)をそろえたための、技術的な制
約によるもので、これら赤字のところで、息継ぎをしたり、間をあけたり、赤字のところを延ばしたりしてはいけませ
ん。下の太字のところは、自由リズムのテージス(1拍目)になります(*は八分休符)。
 主はゆたかなあがないに満ちー*|いつくしみふかいー*
 答唱句は、詩編と同じく、八分音符の連続ですが、「主・は・ゆ・た・か・な・あ・が・な・い・に・満・ちー」のように包丁
がまな板を鳴らすような歌い方にならないようにしましょう。
 冒頭は、きびきびと歌い始め、1小節目の終わりで、rit. し、ほぼ、そのテンポのまま「いつくしみ」に入り、最後
は、さらにていねいに rit. して終わります。全体は、P で、最後の答唱句は PP にしますが、それは、この答唱句
の信仰告白のことばを、こころの底から、深く力強い、確固としたものとするためです。決して、気の抜けたような歌い
方にならないようにしてください。
 四旬節の主日も、第5主日となりました。第一朗読で読まれる、エゼキエルの預言、今日は37章が読まれます
が、復活徹夜祭にはその前の36章が第七朗読で読まれます。福音はヨハネの中の有名な、ラザロの復活(正確に
は蘇生)が読まれ、間近に迫った、入信志願者の洗礼の直前の準備となっていることが分かります。詩編は、最初
にも書いたように、深い淵からの回心の叫びですが、それは、洗礼志願者と心を合わせた、わたしたち、すべてのキ
リスト者の叫びと言っても過言ではありません。この、詩編を味わいながら、入信志願者と心を合わせ、わたしたち
も、復活徹夜祭に行われる、洗礼の約束の更新によって、新しくふさわしい心で、キリストとともに歩めるように祈りた
いものです。
【オルガン】
 この答唱句は、基本的に P  で歌いますから、ストップもフルート系の8’だけでよいでしょう。ただし、会衆の人数
によっては、弱い4’を加えたり、Swell から8’をコッペル(カプラー)してつなげる方法もあります。ペダルも16’は一
番弱い音のものを使いましょう。会衆の人数によっては、答唱句も Swell で弾いたほうがよいかもしれません。いず
れにしても、答唱句の緊張感が生きるようなストップを心がけてください。
 さて、前奏ですが、このような、いわゆる「プサルモディア系」の答唱句の場合、ソプラノを刻んで弾くことはしませ
ん。すべての声部を最後まで、音を延ばしたままで弾きますが、その際、実際に歌う長さを延ばすようにします。ただ
し、「満ちー」の後はソプラノだけ八分休符を入れます。つまり、オルガン奉仕者は、声には出さずとも、答唱句の歌
詞を、心の中で歌いながら、もちろん、ふさわしい rit. もしつつ、前奏をするわけです。
 それで、本当にきちんと、会衆が歌うのだろうか?と思われるかもしれません。ですが、普段、「プサルモディア系」
以外の答唱句で、きちんと歌うように前奏をとるように心がけていると、「プサルモディア系」の答唱詩編の場合、この
ように前奏をとると、きちんと歌えるようになってくるものです。ちなみに、これは、四旬節の詠唱にも言えることです。
 オルガン奉仕者が、なぜ、きちんと歌って祈らなければならないのか、ということが、分かると思います。

《B年》
 6・7 あなたのいぶきを受けて
【解説】
 四旬節第五主日のB年は、珍しく2つの番号が答唱詩編として登場します。とは言っても、どちらも詩編51が歌わ
れますので、詩編としては、一つの詩編がとおして歌われるのですが、たまたま、前半と後半で、答唱句の番号が
分けられているということです。
 詩編の表題の1・2節には、「ダビデの詩。ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たと
き」(サムエル記下11:1~12:15参照)と記されていて、旧約時代以来、ダビデの歌とされていますが、実際にダ
ビデが歌ったかどうかは定かではありません。回心の七つの詩編の一つで(他に詩編6、32、38、102、130、14
3)、神に赦しを願い、罪からの清めと神のいぶき(聖霊)による聖化を求め、典礼(神殿祭儀)での感謝と賛美を神に
約束します。
 答唱句の旋律は、冒頭、最高音部から始まり、「あなたのいぶき」すなわち神のいぶき=聖霊をの派遣を願い、そ
れが、天から降り、与えられる様子が表現されます。また、アルトとバスは主音のEs(ミ♭)を持続し、神へのゆるぎ
ない信頼と、回心の強い決意が表されています。後半は、同じ音の動きが3度下のG(ソ)から始まり、わたしたちが
新たにされることが、とりわけ「あたらしく」のバスで最低音を用いることで、謙虚に示されています。
 詩編唱和は、旋律の終止音であり、また、最低音でもあるEs(ミ♭)から始まり、2小節目の後半はAs(ラ♭)、4小
節目の最後はB(シ♭)というように、嘆願のことば、あるいは、信仰告白のことばが歌われる部分で、前半、後半、
それぞれの最高音を用いることで、ことばを強調し、叫びを高めています。
【祈りの注意】
 答唱句の指定速度は、四分音符=63くらい、ですから、それほど早くも遅くもない速度です。ことばの持つニュア
ンスから言うと、「荘重に」歌うようにしたいものです。特に、後半は、静かで謙虚なこころの中にも、荘厳さがあるとよ
いでしょうか。答唱句は、それぞれの詩編唱に対して、こころから「あなたのいぶきを受けて、わたしは新しくなる」こと
を、言い表しましょう。バスの下降もこれらを助けています。
 詩編唱は、上にも書いたように、答唱句の終止音で、かつ、最低音であるEs(ミ♭)から始まります。最初は、こころ
の深みから、詩編で歌われる回心のことばを、神に告白しましょう。音の強さとしては、mp から始めるのがよいと思
いますが、それは、あくまでも音量であって、告白するこころは真剣な力強いものとなるのは、言うまでもありません。
このことばは、詩編を歌う人、個人のことばであるばかりではなく、その共同体、そのミサに参加するすべてに人のこ
ころを言い表しているものでもあることを、忘れないようにしたいものです。2小節目の後半と4小節目の最後には、上
にも書いたように、神への嘆願のことば、信仰告白のことばが歌われますが、ここは、「あなたのいぶきを受けて、新
しく」されたわたしたち一人ひとりの持つ、神へのゆるぎない信頼を込めて神に呼びかけてください。
 モーセが神から授けられた律法は、石の板に書かれました。しかし、第一朗読で読まれる、エレミアの預言では
「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心の中にそれを記す」(33節)と言われます。洗礼志願者も、いよい
よ、心の中に神のことばを刻み付けて、復活徹夜祭には神の民に加えられます。洗礼によって、今までの生活がが
らりと変わると言っても過言でない、洗礼志願者のためにも、詩編を先唱されるかたは、自らの洗礼のことを思い起こ
して、共同体の代表として、また、洗礼志願者とこころを合わせて、詩編を神への祈りとしてください。
【オルガン】
 回心は、暗く沈んでいるのではなく、神に立ち戻ろうとすること、心を神に向けなおすものですから、それをあらわす
ような音色を考えてください。派手ではないものの、やや明るめのストップを選択すると、答唱句のことばが生きてくる
のではないでしょうか。主日のミサですから、8’+4’が基本でしょう。とはいえ、プリンチパル系のストップでは、音
が大きすぎるきらいもあります。
 前奏は、神の霊が降ってきて、わたしたちのすべてを新しくするように、活き活きとしたいものですが、早すぎたり、
あわてたものではないことは言うもまでもありません。
 会衆一同が、また、詩編の先唱者が、洗礼志願者のために深く祈れるように、オルガンもその手助けをしたいもの
です。

《C年》
 154 涙のうちに種まく人は
【解説】
 詩編126は、「都に上る歌」の一つですが、内容を見て分かるように、バビロン捕囚から帰ったばかりのイスラエル
の幸福な状態を思い起こし(1-3節)、その後の苦難から、捕囚直後の幸福な状態への回帰を願うものです。ネゲ
ブは、パレスチナ南部の乾燥した高原地帯で、ここに流れる川は、雨の後にだけ水が流れ、その流れは不毛の地を
肥沃な大地へと潤します。種をまくことですが、加工すればパンになる小麦を地に撒くことで、一時的な飢えを覚悟す
ることを意味しています。つまり、その先にある、収穫を神の恵みによって、期待するのです。
 答唱句は、歌詞に従って、前半は1♭の短調であるd-moll(二短調)、後半は同じ調号の長調であるF-Dur(へ
長調)と、並行調で対照的にできています。前半は、バス以外「涙のうちに」と「種まく人は」という、二回の下降音階
で、これらの姿勢と感情が表されています。後半は、「よろこび」で、まず、バスとソプラノが2オクターヴ+3度開き、
「よろ」でバスがオクターヴ跳躍し、「よろこび」では、付点八分音符+十六分音符という付点を用いることで、この、神
による回復の喜びの大きさが表されています。続く「刈り取る」では、この音価がバス以外で拡大され(付点四分音
符+八分音符)て、強調されます。
 詩編唱は、旋律が属音(ドミナント)を中心に動き、和音もd-moll(二短調)の基本的な和音で動いています。な
お、『混声合唱のための典礼聖歌』(カワイ出版 2000 )では、詩編唱の三小節目の最後の和音と、四小節目が変更
されています。
【祈りの注意】
 答唱句は早く歌うものではありませんが、前半の下降音階を生かすように、きびきび、そして、ことばを生かすよう
に、厳しくしっかりと歌いましょう。後半は、付点の音価を生かすように、明るく歌います。食事の用意、宿題、残業、
苦労の種はいっぱいありますが、その後に待っている喜びを知っている人は多いと思います。わたくしの場合には、
熱いお風呂とその後のビールでしょうか?身近な苦労と喜びを思い起こして、その気持ちを答唱句に反映させるの
が、一番、分かりやすいかもしれません。もう一つ、下降音階の注意ですが、きわめてレガート(滑らか)に歌うように
しましょう。力が入ると、一つ一つの音が飛び出すようになりがちですが、これでは、よい祈りになりません。
 第一朗読では、イザヤの預言によって、出エジプトの出来事と天地創造の出来事の要約が語られ、最後に、その
理由が述べられます。そこで、神は「わたしはこの民をわたしのために造った」(43:21)と言います。これは、新約
のキリスト者も同じです。それゆえ、神の民は、すべての民に神の「栄誉を語らねばならないのです」(43:21)。
 福音朗読では、姦通の現場で捕えられた女性が、イエスももとにつれてこられ、石殺しにするべきかが、問われま
す。本来、姦通の現場を押さえられた場合は、男女ともに石殺しになったのですから、女性だけがそれを判断される
というのは、片手落ちということになります。女性にとっては、自分に罪があったにせよ、律法に従っても、理不尽な
扱いを受けたことになりますし、死んでも死にきれなかったでしょう。ところが、イエスの答えは、全く予期しなかったも
のでした(それは、律法学者たちやファリサイ派の人々にとっても同じく)。まさに、シオン(神の元)に戻され、喜びに
あふれて帰っていったことでしょう。
 わたしたちも、四旬節の間に、もう一度、自分自身の洗礼を思い起こし、常に、神に立ち返る恵みを、この答唱詩編
の祈りを通して、新たにしたいものです。
【オルガン】
 祈りの注意のところでも述べましたが、まず、レガートを心がけましょう。全体に、音階進行が多いので、前後の音
を考慮した運指法、ペダリングを考えてみましょう。ペダルを使わないで、手(マニュアル)だけで弾く場合は、上三声
を右手で取ったり、すばやく持ち替えたり、飛ばしたり、滑らせたり、といった技術が必要です。これらは、演奏のため
の技術でもありますが、最も大切なことは、この答唱句の祈りを深めるため、ことばを味わうためにレガートで祈りを支
えるということが目的なのです。ペダルを使えるようだと、手の持ち替えも少なくて済みますし、レガートがより容易に
なります。感情豊かな、答唱句のことばですが、オルガンがだらだらした前奏だと、せっかくの答唱句のことばも、ム
に等しいものとなってしまいます。もちろん、やりすぎはよくありませんが、よりよく、答唱句を味わい、祈れるような前
奏ができるように、また、伴奏となるように、しっかり準備したいものです。
 音色は、四旬節ということもあり、また、答唱句の性格からも、控えめのフルート系の8’+4’(会衆の人数によって
は8’)がよいでしょう。




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